「俺も、男に欲情しちゃうようになったら終わりですよねぇ」

 それはいつもの部活動中、彼がぽつりと呟いた一言だった。言葉だけ聞いていると何やら思いつめているような気さえするが、表情は依然としてふにゃふにゃとしただらしのない顔付きをしている。それも明らかに俺の方を見ながら。
 傍にいた舗家や府内はにやにやとした表情で俺と狐に視線を往復させているし、鵜殿や、――……えーと、名前忘れた。誰でしたっけ、あの、消極的で眉毛の太いブロンドの……、彦根?――に至っては何故二人がにやついているのか理解出来ないようだった。いや、鵜殿は少しくらいは理解していそうだが。

「やまぴー、悪いけどここ、部室なん分かってる?」
「お前も大胆だな……つこみも言ってるけど、ここ部室だぞ」
「ノマルは全然大胆ちゃうもんなー!何ていうか、めっちゃ照れるタイプやし」
「おまっ、何の話してんだ!」

 あぁ、そういやここ二人も仲良かったな、とぼんやり思い出す。顔を真っ赤にさせた府内が舗家に怒鳴りながら拳を向けている様子を、彦根は不思議そうに眺めている。
 狐は、そんな二人の話など聞いていないらしい。まさか本当にここには俺と狐しかいないとでも思い込んでいるのではないだろうか、と彼の脳味噌の中を真剣に心配し始める。

「とにかく、なんかやまぴー自分の世界に入ってもうとるみたいやし帰るわー」
「……まあ、頑張れ」
「つこみ君もノマルはんも帰らはるんですかぁー?僕も一緒に帰りますー」
「では拙者も、失礼するでござるよ」

 狐があまりにぼーっとした顔をしていたため、どうやら先程の続きを言うのだろうと予想した舗家と府内は揃って鞄を手に取った。
 ――何を頑張れと言うのだろうか、あの目つき悪男。そうだ、今度から目つき悪男と呼んでやろう。
 それを見ていた彦根と鵜殿も、空気を読んで――いや、この場合俺的には全然空気読んで欲しくないし正直俺が帰りたいんですが――四人揃って部室から去って行った。なんとも気まずい雰囲気だけが残った部室には、もう俺と狐しかいない。

「……アンタ、なじょしたんですか。皆笑ってたけどドン引きでした」
「んー……だってさ……普通男は女に惚れるもんだし、女を好くものだと思いません?」
「まぁ、普通はそうだべした」

 普通、というのがこの場合何を普通だと言うのか迷ったが、確かに、一般では男は女と結ばれる確率の方が確実に高いだろう。男が男を好くなんて、それこそ。周りから普通の目で見られないだろうということは、ここまで生きてきてよく知っている。あぁ、やはり普通とは何なのだろうか。

「俺、確かに女の子も好きだよ?未だに一日一冊はエロ本見てるよ?」
「ちょ、何てこと公言してんですか!」
「みなちょには及ばないけど……相当脳味噌ピンクだと思うよ?」
「それを平気で言えるアンタが怖いです……」

 言いつつ懐から何やら雑誌のようなものを一冊取り出して、俺の方へ向けた。つい先程話にあがったエロ本だった。彼はどうやら常に懐に一冊は隠し持っているらしい。いくら同性でも、自分と同じ性別だということを寧ろ恥ずかしく思えるほどだった。

「そっだらもの見せねぇでくなんしょ!」
「欲情だってするよ?けどさ、何でか誉さんにも欲情しちゃうんだよ」

 彼はもう一度懐へ例のものを押し込むと、考え込むポーズをした。

「俺もう、何か駄目なのかなぁ……女にモテなさすぎて男に走るようになったとか」
「俺がおめのことなんか知るわけないでしょー」
「かいちょーつめたい……。あ、でもね、後悔してるわけじゃないんだよ」

 珍しく真剣な面持ちをして、大和は此方を向いた。そんな時の大和をまともに見れたことは少なく、たいていは赤いピンに視線をずらしてしまう。あかべこは俺の肩の上でぷきゅ、と一言だけ鳴いた。こういう時は大体俺の背中を押すようなことを言っているのだろうと思う。今度兎になってあかべこと話してみたいなあ。などと考えている途中、無意識に現実逃避していることに気が付く。目の前の彼は未だに真剣な表情だ。

「俺、誉さんに惚れてよかったって思ってる!だって誉さん可愛いし」
「ほんといい加減にしてくなんしょ!つつきますよ」
「でも、異常なのかなって思うとさ……誉さんのこと考えると、そう言ってられない気がして」

 彼は、真剣な顔をすれば突然ふにゃりと情けない顔になるし、かと思えばすぐにまた凛々しい顔付きをするから困ったものだ。気を抜いているときに限って、彼は目つきを変える。そうなったらもう、逃げられない。

「俺は誉さんが好きだよ。でも、こんな関係、きっと……いや絶対、誉さんに良いはずがない」
「へえ、そう思うんなら、ずっとそうやってうじうじしてたらいいです」
「え……誉さん?」
「アンタほんとうっつぁしーですよ。アンタ俺のこと、何も分かってないんですね」

 人間は、大抵の場合、一度言い過ぎてしまった瞬間にやばいな、と感じることがあるが、それでも止められないようになっているらしい。急に俺は早口になって、言おうと思ってなかったことでさえ口からポンポン飛び出してくる。

「俺がアンタといるのは、アンタがうっつぁしーから付き合ってやってるんじゃないん、です」

 思わず途中、彼のことも何も考えないで喋りすぎた自分の無神経さを恨み、涙を零してしまった。泣きたいのはきっと、彼だろうに。あかべこが慌てて俺の頬を撫でている。もう全部が全部悔しくて、制服の裾を力一杯握り締めながら唇を噛んで、大粒の涙を流し続けた。彼に無神経なことを言いすぎてしまったことも、彼を困らせるようなことをしたことも、全て悔しかった。

「俺は……アンタと、一緒にいたくて、付き合ってやってんですよ……!」
「誉さん……」
「……んで、そっだらこと……分かんねぇんです……!この、でれすけ……!」

 休む暇なく零れ落ちてくる涙を拭ったのは、俺でもあかべこでもなく目の前の大和だった。親指の腹でやさしく目元をなぞってから少しして額にキスが落ちてきた。

「…………っ」
「ごめんね、俺、誉さんは俺に仕方なしに付き合ってくれてるんだと思ってた」

 ――だって誉さん、素直じゃないからさ。
 耳元にそう呟かれて、確かに素直じゃないと自分の言動を思い返す。

「……狐、」
「ん?」
「最初、アンタ、男に欲情したら終わりだって言ってたでしょう」
「うん、言った」
「そんなら、俺も、お互い様です」

 滅多に見せない笑顔を向けてから、俺から大和の唇にキスをした。爪先立ちをしなければ唇に届かないのは少々癇に障ったが、まあ、今が良ければそれでいいかと信じることにした。

 ――こんなサービスは今日限りですよ。彼の聞こえない所でそう呟くのだった。









男に欲情してるのはお互い様
(あんたのせいでこうなったんですよ、責任とってください)



















(080906)


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