今日は暑いなあとか、1限なんだっけとか、そんななんてことのないことをぼんやりと考えていたら、目前に黒子の姿が見えた。
後ろからは確認できないが、このくそ暑い日にも彼は律儀にジッパーを上まで上げていることだろう。少し俯いている加減から、本を読みながらの登校だと思われた。

「よう、黒子」
「火神君。おはようございます」

単なる挨拶にわざわざ辞儀も含めるのだから、火神には何とも律儀としか言い様がなかった。
片手で握られた本に著者と思しき場所に井伏鱒二と記されてあったが、火神にはそれは見覚えのない名前であった。火神が挨拶だけで終わらない雰囲気を察した黒子は、読みかけの本に丁寧に栞をしてから視線を上げた。何か用ですか、とでも言いたげに。

「誰だそいつ」
「さっきの本の話ですか?井伏鱒二です」
「知らねー」
「それは単に興味がないだけですか?それとも外国に行っていたからですか?」
「前者だ、と、思う」
「なら、読んでみるのもいいと思います。山椒魚おすすめです」

さんしょううお、と聞き慣れない言葉を反芻してみるが、火神にはそのような本を読む気にはなれなかった。「魚」とつく辺りから、火神は魚の生態に関する本だと推測した。恐らく山椒を食らう魚の一種の生態本だろう。尚更興味など湧くはずもない。
黒子が、持っていた本をしまおうとして鞄の中を開けた瞬間小さな「あ」と共に行動が止まった。鞄の中をじっと見ながら立ち尽くす黒子に、火神が「何やってんだ」と問いかけると黒子は少し気を落として返答した。

「財布、忘れました」
「何だそれぐらい」
「今日はすごくシェイクが飲みたい日だったんです」

はあ、とこれ見よがしな溜息を吐く黒子の顔を半ば睨みつけた。黒子はあくまでも被害者面である。恐らく傍からは「火神くんってあんなに反論も出来なさそうな黒子くんのこと睨みつけて何が楽しいのかしら!」とか思われているに違いないと火神は思った。そもそも黒子は割と反論する奴である、こう見えて。誰にも何も言われていないのに、そのようなことを言う輩がいれば必ずこの一言をお見舞いしてやろうと決めているのである。

「しゃーねーな。奢ってやるよ」
「! ほんとですか火神君」

けれど、黒子の顔があまりにも突然輝いたから。
(……やべえ……)
何杯奢ってやろうかとか、先程話に上った山椒を食う魚がどうだとかいう本を読んでみてやってもいいなとか、そんなことが頭を過ぎり、最終的には支配し始めた。たった一瞬の笑顔が、写真に撮ったように頭から離れない。
そして言う必要性もないことだが、この後の授業にもそれによる影響を及ぼした。火神だけ叱られたことも言うまでもない。



君magic!
(あの、言っておきますけど何杯もいりませんからね。聞いてますか火神君)



(090527)
習作。火黒がうまく書けなくなってきたので。
どうにも思うように書けない…




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